結局、何にも変わってない
最近、大学生くらいの時にやっていたことを、またやりだしたりしていて、結局自分は成長しないなーって思う。
夜ランニングをするのが日課だったが、また最近ランニングをはじめている。梅田近辺に住んでいるんだけど、通天閣くらいまで行って帰ってくるのがお気に入りのコース。
走っているときは、音楽かラジオを聴いている。
社会人になりたての時くらいに、インターネットレーベルのマルチネレコードが流行っていて、そこから文化系の私もダンスミュージックを聴くようになった。
大学生の時は、もっぱらナンバーガールとアンビエントとかエレクトロニカが好きだった。大学の頃は、文化的な刺激に飢えていて映画サークルに入っていた。
その時の先輩とか映画で使われている音楽に影響されて、アンビエント・エレクトロニカは聴き始めたのだと思う。
今でもそうだけどテクノ/ハウスを沢山聴くようになったが、大学生の頃の感性にまた戻ってきている。新卒で東京で働き始めたけれど、直ぐに帰ってきて今は大阪から離れるつもりはあまりない。
変わったことと言えば、酒を飲む量が増えたことくらいだろうか。
Facebookのタイムラインでは、やたらAviciiという単語が流れてくるなーと思っていたら、前の同僚が
What what what whaaaaaaaaat!!?
Avicii has passed away!!??
What the hell happened in the world!?
Pls someone make me calm!!
ってFacebookで流れてきて、マジなんやと思った。
調べてみたらいろんなニュースサイトで報道されていた。
日本ではもう少し日が立つが、ECDがいなくなってしまった。
ECDのニュースが流れた時も、誰かのSNSを見て最初は信じられなかったけど、ニュースサイトにも載っていて本当だっていうことがわかった。
ずっと聞いていなかったけど、最近またラジオを聴いている。
大学生の時から、TBSラジオでやっている文化系トークラジオLifeが好きで聞いていて、もうすぐ「平成」が終わりになるから平成ってどんなだったの?って振り返りみたいなことをやっていた。
その中で、取り上げられていた曲で、ECDのロンリーガールという曲がある。ECDが加藤ミリヤのライブで「20年たったけど、かわりゃしねー」って言ってたらしい。聴いたことがなかったから聞いてみると、めっちゃいいんだ。
結局、自分なんて何にも変わってない。 人の孤独も結局何にも変わってねー。どうしたもんかな。
一人でやる力
イベントとかビジネスとかを、誰かと一緒に何かをやることは多くあると思う。でも、その誰かを見つけられないことを言い訳にして、やらないことが自分の場合ほとんど。アイディアは出てくるが、実行に移されることは、ほとんどない。
人生を振り返ると、やりたいなーって思ってちゃんと実行できたことっていったい何だろう。結局何もできていないのが現実。
私は音楽が好きで、お酒が好きで、でも性格は文化系だから音楽を大きい音で聴きたくてもチャラいクラブに行くことはできないし、なかなか場所がなかったりする。
じゃー自分で主催するかということで企画してみるも、人を集めないと会場代がペイできないとか、当日一人で音楽を流してられないから、DJちゃんと集めなきゃとかめんどくさくなってきてしまう。結局そんなことしていると、イベントなんて開催されない。
今、30才で人生見直して次の10年どうしようかなーって考える年になってきている。
どうするのがいいのか?
小さく一人でやるしかない。
そんな風に思っている。めんどくさくない程度に最小限に一人ではじめて、輪を広げていく。そうするしかないかなと。
今自分はシェアハウスの運営をしているから、手伝ってくれる人がいないわけじゃない。けど、頼っちゃいけないんだよな。
結局、人は孤独な生き物と思ってやるしかない。
最近の友達の作り方
この前、シェアハウスで話していたんだけど、昔はmixiが流行っていて、そのコミュニティーでわちゃわちゃと会話して、そのあとお祭り的にオフ会があって、友達作りとか結構していたよ、という話をしていた。
私もmixi世代だったけど、なんか古い感じの家で育ったせいかあんまり、mixiにコミットしていなかった。登録はしていたけれど何となく眺めていたくらい。
一緒に話していいたのは、30過ぎの人と40過ぎの人で、mixiで結構たくさん友達を作っていたようだ。mixiがない今、それに代わるものがないからどうしようかという感じ。ネットで関係作れないから、バーに行って新しい友達開拓するかという話になった。
私は仕事で一応マーケティングみたいなことをやっているんだけれど、SNSは一応使ってみている。外国人も相手にしているから、外国人相手ならFacebookがまだまだ有効。でも、日本人の反応は全然ない。反応する日本人は、海外経験が長い人か、40代以降の人たち。私はシェアハウスの運営をしているから、反応してほしい年齢層が違うんだけどなーと思っている。
最近はInstagramが流行っているって言っているけど、見ているとInstagramもみんな飽きてきているんじゃないかなーって感じがしてきている。似たり寄ったりな写真になってきていて、逆に”インスタ萎え”が面白い!ってなったり、やすよともこのフィルターなしで、おしゃれでもなんでもないインスタの投稿がいいねを稼いでいたりする。
今、mixiみたいな関係がどこで行われているかというと、twitterとリアルの組み合わせだと感じている。Twitterで絡みながら、リアルで結構しょっちゅう会う。
インターネットを経由して、一周回って、普段一緒に遊んだりする友達関係が再構築されている感じがする。
ネットの友達から、会いに行ける普通の友達。
なかなか、自分がコミットできるコミュニティーを見つけられないコミュニティー難民の人たちの何パーセントの人が、友達を作ることができるかわからない。
かくいう難民である私も実際に友達を作ることができるのだろうか。実験ですね。
友達の作り方
畑を耕しに京都の庭の広いシェアハウスに集まった時に話になったのが、「大人になってからの友達の作り方」だ。
私も友達作りは苦手かつ続けるのも苦手、どちらかというと自分でフェイドアウトしていってしまう癖がある。なんか誰かと一緒にいるとめんどくさいなーと思ってしまう。
大学に入学してすぐの説明会の時、席が隣同士のやつらと話していて、この後どこ行くかーみたいな話になって、4人くらい一緒に歩きだしたけど、なんかめんどくせーなーと思って、人込みにフェイドアウトしていった記憶がある。入学早々みずからボッチになるという恐ろしい行動をしていた。
もっとさかのぼると、中学生の頃、男子みんなでドッジボールに外に行ったりしていたけれど、なんでわざわざそんなこと、せんとあかんねんと思い参加せず、教室でぼーっとしていたり、みんなで何かやることに、途中で離脱したくなる気持ちがすごく強い。
サラリーマンには飲み会や歓送迎会がつきもの。昔はシステムエンジニアをしていたから、現場の人の出入りが激しくて、よく歓送迎会が行われていた。とても苦痛だったな。
昔の通知表とか見たら、「協調性があって」とかよく書かれていたけれど、今思うと先生は何も俺のことわかってないな。先生の前ではいいところを見せようとしていたから、きっと協調性のある子を演じていたのだろう。
なんかずっと、何かを隠して生きてきていると思感じる。その隠している感じが心を開いていないように見えて、友達みたいなものができないんだろうな。
自分から自分の話なんて絶対しない。話すことなんてないよーみたいに思ってしまう。
今ブログに決してポジティブな言葉ではないけれど、心から出てくる言葉を書いている。この調子で書いていってみるか。
常に友達を探している感じ。ライフワークが友達探しになっていると思う。
めんどくさがりと、かっこつけて自分のことを話さないのが悪いのだろうと見当はついている。まーがんばっていくか。
思っていることを言葉にすることは難しい
小さい頃からだと思うけれど、自分の思っていることを言葉にすることが苦手で、今でも友達と話したりするとき、自分で自分の近況や起こったことを話すのがとても苦手だ。
基本的に質問してくれたらこたえられるが、なんとも面白みのない回答をしているように思う。
なんでかなーと考えていたら、最初は「自分にはこだわりがないから、どっちでもよいから言いたいことがないのかな」と思っていた。でも、30歳を過ぎてやっと自覚してきたけれど、自分は結構こだわりが強いらしい。嫁に言われるから確かだろう。全然自覚はない。
じゃあ、他の理由を探してみると、昔から授業で発表したり、先生に質問したりするのが苦手だった。恥ずかしかったから、間違えるのを極度に怖がっていたように思う。
それが、今も続いていて無難な方に逃げていたり、評価されない方へ逃げていると思う。
正社員を2回やめて、現在3社目のシェアハウス運営会社で働いているけれど、住んでいる人の表情とか見ていると、如実に評価されているなと感じる。
心を開かせたときはとても面白いし、お客さんを超えて友情のようなものが芽生える。そんなことばっかりだったら良いけど、しょーもないやつやなときっと思っている人の方が圧倒的に多いと感じている。
とりあえず、しゃべる練習、自分の思っていることを言葉にする練習。
これをするしかないな。
最近とても感じること、何も言葉が出ないときは、そもそも頭が回っていないんだろう。自分のあほさを自覚して、言葉が口から出てくる回路を拡張しなければいけない。
夜の時間が好き
夜の時間は、特別な感じがして好き。
学生の頃は夜型やった。
朝方寝て、昼頃起きて、夕方から外に出ていた。
大体その繰り返しで、
大学の3回生からは授業もほとんど取ってなくて、夕方から学校いって
部室によって、
図書館で本読んでうだうだしていた気がする。
社会人になったら、仕事が朝から始まってしまうので、しゃーなしに、朝起きて夜寝る生活してたけど。
週末はすぐに生活習慣が崩れてしまう。
昔から一人で夜ランニングするのが好きで、それだけ続けていて
金曜とかストレス貯めこんで帰ってきて、夜中の12時にランニング出発して、朝方に帰ってくるような生活をしていた。
土曜日の早朝って、全然知らん国の生活を紹介するテレビ番組がやっていて、それを見ながらうとうとして、寝るという生活をしていた。
走っていいるときは、大概音楽を聴いているけれど、ポッドキャストもよく聞いていた。
自分は、文系バリバリの哲学科出身で、
社会人になっても、ライトな学問的なものを欲していたかもしれない。
TBSラジオでやっている「文化系トークラジオLife」をよく聞いていた。
印象に残っているのが、「夜遊びのゆくえ」。
2013年02月24日Part1「夜遊びのゆくえ」 (文化系トークラジオ Life)
恩田陸さんの「夜のピクニック」を引き合いにだして、お酒飲まない大人の遊びとして、twitterしながら朝まで歩く大人の徘徊が妙に記憶に残っている。
当時は、東京の味の素スタジアムの近く、調布に住んでいて、そっから新宿に向かって走り続ける日もあれば、中央線の方角に走って行って、吉祥寺にタッチして帰ってくるとかしていた。
大阪に戻ってきて、夜中に梅田から通天閣まで走っているときに、懐かしくなって聞きなおしていた。
放送日時を見て愕然とする。2013年。今は2018年。
5年たってるけど、全然変わってないなと。
あの頃と、住んでいるところや仕事が違っても、ものの感じ方はあんまり変わっていないし、好きな音楽も結局同じ。解散したバンドの音源をずっと懐かしんで聴いている。
何にも変わっていかない自分。そろそろ、やばいなと思っている今日この頃。こんな気持ちになっているのは、僕だけでしょうか?
あの頃は、そこで止まっていたけれど、今はブログ書いたりちょっと情報発信してみる。誰か同じように感じている人いないかなと願いを込めて。
のんびりいろいろやっていきましょうか。
居場所って見つけるのが難しい
みんな遊び相手ってどこで見つけてるんだろうか。
どっぷり誰かとつるむのは怠いし、かといってずっと一人で過ごしているのも退屈してしまうし、漠然とした不安に駆られてしまう。
たまに集まって飲み会してても、途中でめんどくさくなってしまう。計算してみると大体2時間くらいのところで、一気に口数が減ってくる。
ほんまに都合のいい人間やと、自分で思う。
私は弱い人間だから、すぐにビールに手をのばしてしまう。休みの日、一人だったら絶対ビール。多少、酩酊していないとしんどい。
気軽に行けるイベントとかないかなとググるけど、ろくな情報にたどり着かない。
Facebookで探してみるも、先人の人はあまりFacebook使っていないようだ。
会社のInstagramのアカウントのリーチ増やさなくちゃいけなくて、自分のアカウントで実験してたけど、おしゃれついていけん。
で、今まで見る専用だったtwitterに回帰。まだノリについていけないが、これで様子見。どうやって繋がってくとかようわからん。人のダメな感じというか、本音というかそんなもんが、行き交ってるのがtwiter見ている感触。
僕はシェアハウスの運営していて、居場所見つけられなくて、退屈しちゃってる大人向けにシェアハウスをやっていきたいと思っているから、そういう人にブログの記事とか届いてほしいんだけど、誰か読んでくれるのだろうか。
シェアハウスの住人さん募集で、ジモティー使うんですけど、居場所っぽいものを求めている人が一番いそうな感じがしている。
シェアハウスには、向き不向きがあるから、居場所探している大人に住んでほしいけど、ゆるく集まれるイベントとかゆるゆるとやっていきたい。
世の中やる気まんまんで、目がぎらぎらしている人ばっかりじゃないはず。
ゆるめに生きたい人沢山いるよね。私もそっち派。
そんな私みたいな人が、出入り自由な居場所作りしていきたい。自分のためにも。